
RAT HOLE GALLERYでは、昨年の集大成展に続き、アメリカを代表する写真家リー・フリードランダーによる第2回展、来日を重ね日本で制作された「桜」のシリーズ『桜狩』を4月11日より開催いたします。
リー・フリードランダーは1934年、アメリカ・ワシントン州アバディーンに生まれ、少年時代から独学で写真を取り始めています。ロサンゼルス・アート・センターで学んだ後、ニューヨークに移住。60年、 62年にはグッゲンハイム奨学金を授与されて全米をめぐり、<変わりゆくアメリカの光景>を撮影、ウォーカー・エヴァンスに認められた初期の作品「リトル・ルーム」はこの時代に制作されています。写真が報道の役割から撤退しつつあった60年代後半に、個の視線によって社会を見つめる一群の写真家たちがアメリカの写真表現の上に登場しはじめますが、そうした現代写真の変革を示唆する二つの重要な展覧が開催され、フリードランダーもそうした展覧を通してその地位を確立していきます。66年ジョージ・イーストマン・ハウスで開催された『社会的風景に向かって』展では、<コンポラ写真>の旗手として紹介され、国内外の写真家たちに大きな影響をあたえ、続く67年ニューヨーク近代美術館で開催された『ニュー・ドキュメンツ』展では、ジョン・シャーカウスキーの選出によりゲリー・ウィノグランド、ダイアン・アーバスの3人展として紹介されています。フリードランダーの、洗練されたユーモアを交える、抑制された明解な視覚。アメリカの変遷を見つめるその視点は、都市の社会的風景を主題に、身近な人達の記録的な肖像、木々や植物のランドスケープに大別されていますが、近年、その視点に柔らかな眼差しがほのかに見える、との指摘も、聞こえてきているようです。
1977年、はじめて日本を訪れたフリードランダーは、折から桜の季節に出合い、開花を追って列島をめぐる日本人の心情にふれることとなりました。来日を前に源氏物語、谷崎潤一郎などの古典、近代文学に目を通していたフリードランダーが、「花を愛でる」など、独特の日本的な美意識にすでにふれていたことは十分に考えられますが、現代のごく一般の生活者たちが花を追う光景を目の当たりにした驚きには、想像を越えるものがあったようです。当時、満開の桜の景色を見た印象を、後にフリードランダーは「この世のものとは思えない、まばゆいほどの天上の光の下で, 繊細な枝や幹がからみあい、それはまた、淫らですらあった」と語っていますが、彼もまた、花追い人として、79年、81年、84年にも日本を訪れ、東京、奈良、京都をはじめ、四国、広島方面にまで足をのばして撮影を重ねています。
日本で制作されたこの桜のシリーズは、87年にセゾン美術館で開催された集大成展『LEE FRIEDLANDER』に特別のブースが設けられ、「桜狩」のタイトルの下に50点の作品が展示されています。本展はフリードランダー自身の手によって、一昨年の夏に、友人であり写真編集者の山岸章二氏に捧げる形でフランケル・ギャラリーより刊行された写真集『桜狩 - Cherry Blossom Time in Japan』の出版を機に、作家自身の強い希望によって実現されることになりました。
フリードランダーが愛してやまない日本の桜花は、日本的な情緒から切り離されて、他の木々や植物と混じり合うようにして生育する、野の存在として捉えられているかのようにも思えます。桜が、木々であり植物であるという自明の上に立って、身を覆うように花を咲かせるいとおしさを訪ねる、久しぶりの桜狩りを、指折り数えているというフリードランダーからの便りも届いたところです。


1934年米ワシントン州アバディーン生まれ。少年期から写真に親しみ、53-55年ロサンジェルス・アート・センターにて学ぶ。66年『社会的風景に向かって』展(ジョージ・イーストマン・ハウス) で<コンポラ写真>の旗手のひとりとして紹介され、国内外の写真家たちに大きな影響を与える。70年自ら出版社を設立し最初の写真集『セルフ・ポートレート』を出版。現在までに47冊の写真集、ポートフォリオが刊行されている。2005年には大規模な集大成展『Friedlander』がニューヨーク近代美術館(MoMA)にて開催された。
本展覧会に合わせ、RAT HOLEより写真集『LEE FRIEDLANDER 1960s-2000s』を発売いたします。

安楽寺えみは武蔵野美術大学で油絵を学び、約10年間闘病生活を送った後、93年より銅版画制作を始め、98年頃より本格的に写真制作をはじめます。人間の持つ根源的な生への欲望や疑問が、様々なメタファーに置き換えられ、そこに自身の記憶、心象がいく層にも重ねられた不思議な世界を生み出す安楽寺の作品は、2003年にアメリカでInternational Photography Awardを受賞し、2006年には第22回 東川写真賞新人賞を受賞しています。
また、私家写真集を制作するなど、独自の制作活動で世界でも注目を浴びている作家です。
今回発表するカラーで撮影された新作は、沸き起こる衝動や感情を今まで以上にダイレクトに感覚的、または触覚的に表現した作品となっています。生は性へと必然的に結びつき、ステッキやボール(球体)などと戯れながら自分自身の内面世界へと向かってゆく姿は、エロティックというよりも生に対する強いオブセッションを感じさせます。 過ぎ去る時間と繰り返す日常の中で、時にはマジカルに、時にはユーモラスに、生と戯れる安楽寺えみの不思議な世界を是非この機会にご高覧下さい。

- 蝸牛日誌
- - ぐるぐるのめくるめく殻の世界の天と地を繋げる道具(呪物)としての杖へのオマージュ -
皮膚のあちらこちらにできた水泡が破け、
ひりひりとしたむき出しの粘膜の上を無数の蝸牛たちが這いまわる。
おぞましく不快で心地よい感覚はいつまでもいつまでも続く。
ぐるぐるのめくるめく回帰できない世界。
神々の誤審なのか、杖は気弱な羅針盤となって磁石の針の振れが蜿蜒に止まらない。
聖なる杖に憐れみと蔑みと慈しみと愛しみを。
わたしは心もとない杖が地をつく振動を頼りにぐるぐるの螺旋空間をいつまでも彷徨い続けるのだろう。
安楽寺えみ
東京生まれ。武蔵野美術大学にて油絵を学び、93年より銅版画制作を始める。98年頃より写真制作を初め、2001年ロンドン・フォトグラフィック・アワード・メリット受賞。2003年にはアメリカでInternational Photography Awardを受賞、2006年には第22回 東川写真賞新人賞を受賞している。
作品集に『HMMT?』(2005)、『Anrakuji』(2006)、『e-hagaki』(2007)、『ipy』(2008)など。
※本展覧会に合わせ、RAT HOLEより安楽寺自身のデザインによるグローブ、チョーカー、ベルト、ストッキングを限定販売いたします。![]()

アントワン・ダガタは1961年、フランス・マルセイユに生まれ、ニューヨークのICP(国際写真センター)でナン・ゴールディンやラリー・クラークなどに写真を学んだ後、写真家としてのキャリアをスタートさせます。2001年に故郷マルセイユを撮影した『Home Town』でニエプス賞を受賞、2005年には『Insomnia』(不眠症)で第20回東川賞・海外作家賞を受賞しています。
2004年よりマグナムに参加し、現在は準会員として定住地を持たず世界中を移動しながら活動しています。
荒い粒子にブレた残像、そして闇の混沌とした世界が写し出されたダガタの作品は、ダガタ自身が過ごした時間が刻まれたものです。夜の街、娼婦、麻薬中毒者、顔の見分けもつかない裸体、セックスするカップルなど、モノクロームやカラーで撮影されたイメージは、刹那的ゆえに美しく、どこか退廃的な匂いを感じさせます。
意識的に自らの立ち位置を選ぶ事を拒否し、時としてファインダーを覗く事なくシャッターを切るその独自のスタイルは、撮影する側とされる側との境界線を曖昧にし、そのようにして生まれた意識と無意識、偶然と必然が重なり合う世界は、我々の目に強烈な印象を与えるとともに、ドキュメンタリーとは何かを問いかけます。
“写真は嘘以外のなにものでもない。時間は操作され、空間は切り取られ、そして偽善と虚構の間で選択を強いられた偽りの伝達手段となる。”というダガタにとって、常に知らない場所、知らない世界の中に身を置き、自身を見失いながらも撮影をすることは、イメージが氾濫する現代社会へのアンチテーゼであり、あらゆるイデオロギーに対する最後の防御法でもあるのです。
状況主義者であるギー・ドゥボールの言葉からタイトルを引用した本展では、世界に対してラディカルかつ真摯に向き合うダガタの全貌を見て取る事が出来るでしょう。
近年では写真撮影と平行して映画制作も手がけ、昨年から今年にかけて東京の新宿・歌舞伎町で撮影したドキュメンタリー映画『AKAANA』(赤穴)が来年パリで公開を予定しています。
本展ではその映画と関連して制作された新作を含め、現在まで発表した全ての作品から約240点を展示・販売します。
ぜひ、この機会にご高覧下さい。
1961年フランス・マルセイユ生まれ。83年からヨーロッパ、中米、アメリカなど世界各地を放浪し、90年にニューヨークのICP(国際写真センター)にて写真を学ぶ。91年から92年にかけて、マグナムのニューヨークオフィスにてアシスタントとして働き、93年帰国。数年写真から離れるが、その後活動を再開。98年に初の写真集『Mala Noche』(不貞な夜)を発表。2001年に『Home Town』を刊行しニエプス賞受賞。2004年7月よりマグナムに参加。同年『Insomnia』(不眠症)で第20回東川賞・海外作家賞を受賞。その他著作に『Vortex』(渦)(2003)、『Stigma』(2004)、『Psychogeographie』(2005)などがある。
※カタログ同時刊行
展覧会に合わせ、新作を中心としたカタログ『SITUATIONS』(4,800円 税込)をRAT HOLEより刊行いたします。

綿谷修は 1963年北海道生まれ。グラフィック・デザインを学ぶため上京し、1989年よりヒステリックグラマーの写真集刊行をスタートさせるなど、アート・ディレクターとして活動すると同時に、独学で写真を撮り始めました。
91年頃から本格的に写真家として活動し始め、アムステルダムの運河沿いで過ごした日々を記録した『RIVER BED』や、終わりなき日常を綴った『Renoir』、故郷北海道の風景を切り取った『遠軽』、約一年かけて東京を撮影し600点の作品で構成した『Agenda』、ワイドラックスという古いカメラを使い横浜・寿町のドヤ街をモノクロのパノラマサイズで撮影した『昼顔』など多くの作品集を発表しています。撮影から現像まで誰にも教わることなく、一人で模索しながら作り上げたという独自のスタイルは、狩りをするように世界のイメージを切り取り、緻密な現像作業によって作り上げられたものです。

今回発表する「Rumor」は2005年から2006年にかけ、新宿など街の雑踏の中で人物を中心に撮影したものです。「それまで街中で人を意識して撮ったことはなかった」という綿谷は、人物を風景の一部としてではなく視線の中心に据える事で、改めて人と人との間に存在する関係性を認識し、レンズを向ける事で立ち上がる被写体との距離、視線の非対称性、そこに存在する曖昧な関係性を「風説」、「噂」などと訳される“Rumor”と命名しました。一辺が約120cm四方の巨大なプリントに仕上げられた作品から立ち上がる独特の空気感は、見る人に不思議な感覚を呼び起こします。
またウクライナの池の周りでの出来事を撮影した新作「Pond」も合わせて展示します。
| 1963 | 北海道紋別郡遠軽町生まれ。 東京デザイナー学院デザイン科中退。 |
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| 1989 | アート・ディレクターとしてヒステリックグラマーの写真集刊行をスタートさせる。 | |
| 2006 | 第22回東川賞受賞。 | |
| 現在、東京都在住。 | ||
※カタログ同時刊行
展覧会に合わせ、RAT HOLEよりカタログ『Rumor』と、2002年発行の『Agenda』を再編成した『Agenda 2001』を各限定500部発売いたします。

Anders Petersen(アンデルス・ペーターセン)は1944年スウェーデン・ストックホルムに生まれ、1966年から68年にかけてChrister Strömholm(クリステル・ストレームホルム)のもと写真を学びます。
ハンブルグでのナイト・ライフを撮った『Café Lehmitz』や、刑務所に長い間住み込み撮影した『Fängelse』、精神病患者たちを撮った『Ingen har sett allt』など、ドキュメンタリー・スタイルの作品で知られています。
今回、発表する『Café Lehmitz』はアンデルスにとって原点とも言えるシリーズです。
18歳の時、世界放浪の旅の出発点であったドイツ・ハンブルグの夜の町で、売春婦、アルコール中毒患者、ドラック常用者、服装倒錯者などに出会い、生まれ育った環境との違いにカルチャー・ショックを受けた彼は、スウェーデンで写真を学んだ後、67年ハンブルグに戻り、バーでのナイト・ライフを2年に渡って撮り続けました。時には社会の底辺とみなされるような人々に対し、アンデルスは哀れみや同情、ジャーナリスティックな視線ではなく、家族を見守るようにカメラを向けます。いかなる状況下においても自分自身の存在そのものを受け入れ強く生き抜く人々と共に過ごす事で、自身の存在意義を確かめようとしていたのかもしれません。
それらの写真はシリーズ『Café Lehmitz』としてまとめられ、8年後に作品集として出版されました。その中の一枚《Lilly and Rose, Café Lehmitz, Hamburg》はトム・ウェイツのLP『Rain Dogs』(1985)のカバーとしても知られています。
30年後の1999年にアンデルスは再びハンブルグに戻ります。若かった自身がハンブルグの人々や街に何を求めていたのか知るために、かつて自分にとって大切だった場所に立ち戻る事が必要だったと彼は言います。そして変わり果てた現在の街を目の前に一つの見解を得ます。
「時や人生の状況によって答えは変わるが、疑問はいつも同じだ:私は誰で、どうして写真を撮るのだろう?」
常に自身の存在意義を確かめるように写真を通して世界と向き合い続けるアンデルスにとって、原点である『Café Lehmitz』を新たに焼き直すことは、ひとつの区切りでありスタートでもあるのです。
| 1944 | スウェーデンに生まれる。 | |
| 1966-68 | Christer Strömholm Photo Schoolにて写真を学ぶ。 | |
| 1967 | 写真とルポルタージュのエージェンシーSAFTRA設立。 | |
| 1973-74 | DI, the University College of Film, Television, Radio and the Theater, Stockholmにて学ぶ。 | |
| 2003 | アルル国際写真祭にてPhotographer of the Year受賞。 |
本展では『Cafe Lehmitz』よりニュー・プリント約45点を展示・販売いたします。
また、発売記念として通常版に合わせてオリジナルプリントが付いたスペシャルエディションが30部限定でラットホールギャラリーにて販売いたします。(6イメージ×5エディション)


井上青龍 《釜ヶ崎》 8月10日(金)- 8月30日(木)
井上青龍(いのうえ・せいりゅう)は1931(昭和6)年、高知県生まれ。20才の頃より写真家岩宮武二に師事し、一貫してドキュメンタリー写真を志向した作家です。労働者の街である大阪・釜ヶ崎を撮影した『釜ヶ崎』や新潟で朝鮮民主主義人民共和国に渡る在日朝鮮人を追った『北帰行』、奄美・徳之島での人々の生活を取材した『奄美』など社会性の強いテーマを持った作品で知られています。また森山大道など多くの写真家たちに影響を与えました。
本展では彼の代表作《釜ヶ崎》を中心に約50点展示します。
終戦後の高度成長期にさしかかる50年代後半、日雇い労働者が集まる大阪の釜ヶ崎に住み込み、そこに生活する人々の日常を記録した本シリーズは、「泣きたくなるほど好きであり、死んでしまいたいほど嫌い」な釜ヶ崎の現実に決して目を背ける事なく、長年にわたり撮り続けたものです。後に「骨のズイまで釜ヶ崎の人間になりたくても成り得ない事を苦しんでいた」と述べたように、愛憎入り交じった彼の優しく強いまなざしは、見るものを引きつけ、時に混沌とした生へ向き合わせてくれるでしょう。
1931 高知県土佐市に生まれる。
1951 岩宮武二の初弟子として入門。
1961 《人間百景-釜ヶ崎》で第5回日本写真批評家協会新人賞、カメラ芸術新人賞受賞。
1976 大阪芸術大学芸術学部写真学科の専任講師となる(77年助教授、87年教授に就任)。
1988 鹿児島県徳之島での撮影中の事故により逝去。
小島一郎 《津軽》 9月2日(日)-9月21日(金)
小島一郎(こじま・いちろう)は1924(大正13)年、青森県生まれ。故郷の青森を拠点に北国の風景を撮り続けた写真家です。写真家の父のもと幼い頃より写真に親しみ、中国から青森に復員した53年頃より本格的に津軽や下北半島を撮影しはじめます。名取洋之助と出会い一時は上京しますが、常に北国をテーマに作品を撮り続けました。津軽半島の日本海に面した十三村の撮影について「何ものをも失い、白い大地にへばりついている姿、それはそのまま私自身の姿のようでもあり、あるいは又生きようとす
る人間の執念の姿なのかもしれない」と語ったように、敗戦後の焦土と化した故郷青森を目の当たりにし、それでもなお東北の厳しい風土の中で力強く生きる人々の生命力に取り憑かれた小島の写真は、今でも見る人に強烈な印象を与えます。10年と短い写真家活動の中で残した作品の中から、本展では《津軽》を中心に約50点展示いたします。
1924 青森市に写真材料商を営む父平八郎のもと生まれる。
1944 入隊。中国各地を転戦。
1946 復員。家業の材料商を継ぐ。
1953 《パイプ》で東奥美術展特選、国際写真サロン入選。
1961 名取洋之助の勧めにより上京。《下北の海》でカメラ芸術新人賞受賞。
1964 心臓マヒにより急逝。

June 29 19:00-21:00, Opening Reception
July 7 16:00-17:30 Artist Talk (古屋誠一/姫野希美[赤々舎]/本尾久子 (キュレータ)
静岡県西伊豆に生まれた古屋誠一は、大学卒業後、シベリア経由でヨーロッパに渡り、以来、ヨーロッパを拠点として活動をつづけている。
1978年、オーストリアのグラーツで、クリスティーネ・ゲッスラーと出会い、結婚。
1983年頃から精神の病の兆候を色濃く見せはじめたクリスティーネは、古屋との出会いから7年半後の1985年、息子と3人で暮らしていた東ベルリンのアパートから身を投 げて自ら命を絶つ。
それまでに撮影された、日常の営みは膨大なネガフィルムとして、古屋の手元に残された。十年近い歳月のを経て、あたかも1985年を境に時を遡るかのように、ファインダーにおさめられた亡き妻の病状とともに変容していった妻の写真の発表をスタートするのである。
生命を喪った妻は、ネガフィルムの中に姿を定着され幾度も掘り起こされることによって、生きることで変容しつづける古屋と生前には起こりえなかったほどの振幅をもって共振し、常に新しい発見をもっとも身近にいたはずの彼にもたらし続けたのである。
妻の「死」を背負うことで閉ざされるかに見えた古屋の「生」の河は、妻の写真をたぐりながら自らの深い淵に向かいふたたび流れはじめたのかもしれない。その流れのたゆたいは、未来(生)と過去(死)の行き交う、おそらくは永遠に解きほぐすことのできない人の業の奥深さをまさぐりつづける、行き着く先のない旅のように思えてくるのである。
1950年静岡県生まれ。東京写真短期大学(現・東京工芸大学)卒業。1973年にシベリア経由でヨーロッパに向かい、各地に点住し1987年以降はオーストリアのグラーツを拠点に活動。「カメラ・オーストリア」誌の創刊、編集、「フォルム・シュタットパルク」の活動に参加し、日本の写真家をヨーロッパに紹介するなど、幅広い活動を展開している。写真集に、1980年に滞在したアムステルダムからなる写真集「AMS」また1978年に結婚し1985年に自ら命を絶った妻クリスティーネの肖像やヨーロッパ各地を撮影し続ける《Gravitation》シリーズを編んだ「Memoires」、「Seiichi Furuya Memoires 1995」や「Christine Furuya-Gossler Memoires, 1978-1985」、「Portrait」がある。2002年、「Last Trip to Venice」で第27回伊奈信男賞受賞。
2003年、日本の現代写真家を紹介する展覧会「Keep in Touch」をグラーツにて開催。
2004年、ウィーン・アルベティーナ美術館にて個展開催と同時に「alive」を出版、さがみはら写真賞を受賞。2006年10月に赤々舎より、初めて公開するクリスティーネの手記を基に編集された写真集「Memoires 1983」を出版、第19回写真の会賞受賞。2007年ヴァンジ美術館にて個展開催、写真集「Aus den Fugen」を出版。

九〇年から〇七年に至る一六年間に撮影された、荒木経惟の花作品(モノクロー ム)を中心に、最新シリーズ「KAORI LOVE」(モノクロームにペインティング)をご紹 介いたします。
一九九〇年一月二七日。妻・陽子逝去。病室にあったコブシの花を撮影。
以来、写真家・荒木経惟は花に向けてシャッターを切りつづけている。 花々は、写真家との情交よりふたたび生まれ出で、見る者の記憶のドアをくぐりぬけ、刻々と変容を遂げつつ、彷徨いうつろう。想いの塊と化し、すでに形を喪った断片が、ひとつ、またひとつ、たちのぼりよみがえり、やわらかな光と、その襞々に棲みついた翳のなかで、ゆっくりと新たな姿を成していく。
荒木さんの花は、あまりに美しく、生の営みにまばゆい輝きを与え、あまりにもの狂おしく、封印した傷を暴きだす。過去と現在とま見ぬ未来までが、たがいに溶解し工作し、深いカオスにからめとられる。ふとわれに返ると、せつないざわめきの余韻と、ふくよかな残り香が、の奥深く、繭のように包み込まれている。
一枚の写真が、刹那をこれ以上ないほどに愛おしく魅せる。生(エロス)も死(タナトス)も、そのあいだによこわるおおきな幸せもちいさな不幸も、そこには、世界のすべてがある。
二〇〇七年一月二七日、ふたたびコブシの花を撮影。
会場:RAT HOLE GALLERY[ラットホール・ギャラリー]
107-0062 東京都港区南青山5-5-3 B1F
TEL:03-6419-3581/FAX: 03-6419-3583
同時刊行
写真集『荒木経惟 愛ノ花』(RAT HOLE) 1,000点におよぶ花の写真を収録。
定価26,250円(税込)/限定350部/W:315mmxH:364mmxD:34mm/650ページ
リー・フリードランダー(Lee FRIEDLANDER)は、1934年ワシントン州生まれ、少年期より写真撮影を始めました。ロサンジェルス・アートセンターで写真を学んだ後、1956年よりニューヨークに移りインデペンデント・フォトグラファーとして活動を続け、米国ドキュメンタリー写真新世代の中核として高い評価を獲得していきます。
写真が個の内的な表現にかかわるメディアとしての新しい方向を模索した時代、60年代にはじまるフリードランダーの歩みは、路上の日常風景にまなざしをむけることからスタートしました。何気ない日常の中に在る情景を社会的風景としてとらえ、写真を見る行為は現実ではなく、写真家が解釈したパーソナルな世界を見ることだと主張。日常を個人的な視点からとらえた作品は その後の現代写真の展開に大きな影響を与えました。
ストリート・フォトグラフィを中心にすえたフリードランダーの写真制作は、その後も家族や個人的な交遊から生まれたポートレイト集、愛してやまない木々や自然の風景を題材としたシリーズなど多様な作品が発表されています。2005年度ハッセルブラッド国際写真賞を受賞。同年、 ニューヨーク近代美術館で約500点の作品を展示した本格的回顧展 『フリードランダー』は彼の半世紀の歩みをまとめたもので、人々を感動に包み込みました。
出展作品
Street Photography
Self Portrait
Little Screen
American Monument
Portraits
At Work
Nudes
Letters from the People
Stems
Architectural America
Landscape
Lee Friedlander
1934年米ワシントン州アバディーンに生まれる。少年期から写真に親しみ、 53 - 55年ロサンジェルス・アート・センターでエドワード・カミンスキーに 師事。66年「社会的風景に向かって」展(ジョージ・イーストマン・ハウス) で<コンポラ写真>の旗手のひとりとして紹介され、国内外の写真家たちに 大きな影響を与えた。70年自ら出版社を設立し最初の写真集『セルフ・ポート レート』を出版。2005年大規模な集大成展がニューヨーク近代美術館で開催された。

ボリス・ミハイロフ Boris Mikhailovは、1938年、旧ソビエト連邦ウクライナの大工業都市ハリコフ生まれ。(現在ベルリン在住)鉄道工社の電機工であった28歳で写真を 始めます。その後、当時社会主義体制の抑圧下、タブーとされていたヌードを撮影したことで職を失い、写真家として独立します。エネルギッシュな活動により重要なアー ティストとしての評価を築いていきます。旧ソ連体制下、自由な制作活動を規制される中、体制への風刺をこめた作品やきわめて私的な情景を写しとった写真を数々撮影。 圧力に屈しない柔軟な精神から生まれた、真実を見つめようとする、激しく、しかし、あたたかいまなざしは、ヨーロッパでまず評価され、それから、世界的に認められる ようになります。 90年代に入ると、世界各都市における美術館での個展、作品集などを通して、ラディカルかつユーモアに満ちた独自の作風に対する賞賛が高まり、ハッセルブラッド 賞(2000年)を受賞するなど、次々と活動の幅を広げていきました。 1998年に初来日。日本では、「荒木経惟との二人展=冬恋=」(シュウゴアーツ/1999年)、「交錯する流れーMoMA現代美術コレクション」(原美術館)などで紹介されています。

4つのシリーズによって構成される天才・アラーキーによる個展を開催いたします。
「花とヤモリンスキー」
荒木が撮りつづけている花の写真の、最新シリーズです。
咲き誇る花に、ひからびたヤモリの屍体を配し、撮影されたカラー作品です。
「ヤモリンスキーはアタシの化身なんだよ」と語るアラーキー。女性性、そして、エロティシズムの象徴でもある花と、男性性と死の象徴ともいえるヤモリンスキーを配し、日々アトリエで撮影された作品群です。「LOVE」
アラーキーの愛用するカメラの代表が、ライカ。このライカ(M6/M7)で撮影された、女性たちのポートレートです。すべて、アラーキーと女性たちとの私的な関係性を示唆するかのような柔和な空気がただよっています。「緊縛写巻」
モノクロームの画面を、したたり濡らすように描きこまれていった艶やかな色彩。みずからのモノクロ作品のうえに、カラーペインティングのほどこされた作品です。
「絵も写真と同じでね、描きたいって思ったらさっと描く。3分以上かけちゃいけない
んだよ」風のような勢いをはらみつつ、吹き込まれる生命。荒木は、モノクロームの世界に定着された緊縛写真に、たっぷりとあざやかな絵具をふくませた絵筆を走らせ、
53枚の連作をつくりあげました。「写真絵巻だね、緊縛五十三次」。
「モノクローム(”死”)とカラー(”生)の融合だね、両性具有っていうか、生があって死があって、それが人生だからね」。
「緊縛色淫」
「緊縛写巻」をモチーフにして制作された「アラキネマ」(アラーキーの写真によって 構成される映像ショー)の最新作「緊縛色淫」を上映いたします。本展と同時に、作品集『LOVE by Leica』、および、描きおろし絵画によるTシャツ、 DVD『緊縛色淫』などが発売予定です。
*12月17日、アーティストーク(対談:荒木経惟×ボリス・ミハイロフ)と作家サイン会を行ないます。
会場:RAT HOLE GALLERY[ラットホール・ギャラリー]
107-0062 東京都港区南青山5-5-3 B1F
TEL:03-6419-3581/FAX: 03-6419-3583
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東京をはじめ、ヨーロッパなどのさまざまな都市で切り取られた、未発表作品を数多く含むモノクローム写真により、本展は構成されています。森山大道の鋭敏なアンテナが感知し切り取った、コケティッシュに蠢く空気のなかには、独特のユーモアとヴィヴィッドなエロティシズムが充満しています。
「it」今そこにあるものの背後から揺らめきながらたちのぼる、生々しく妖しげな魅惑。はりつめたテンションとざわめきが混在し、ひそやかに鼓動する数々のシーンは、現実とイメージの境界を危うくし、何処かへの旅へといざないます。

東京、ヨーロッパなどで撮影されたオリジナルプリント約40点(全紙/全倍)。
作品は、すべてオリジナルフレームにおさめられています。
[森山大道の語る「it」]
it。昔からこの語感が好きだったんです。映画「it」が公開された20年代の終わり頃には、肉感的とかセクシーとかいう意味をこめてよく使われたらしく、ある種、コケットリーというかエロティックな語感が漂っていた。ずっと気になっていた言葉でした。
街頭のスナップをややおさえめにして、グラフィックなアプローチをしてみよう、というのが最初のプラン。ヒステリック・グラマーという名前にも、itと同じでこちらを喚起してくるような、ワクワクさせるものがあるし、ヒステリック・グラマーというブランドに向けてイメージをつくってみようという気持ちに添って、写真えらびをスタートした。
グラフィズムには、スキャンダリズムとかセンセーショナリズムとかが包みこまれている。風景とか情景とかじゃなくて、ヴィジュアル・スキャンダル。そこらに転がっているモノにこもっていることをね、広い意味でのヴィジュアル・スキャンダルに持っていきたいと思ったわけ。
もともとモノ的なもの、物体とか物質の持っている魅力にひかれるところがある。物体というだけでなく影もモノだと思っちゃう。だから海も物体なんです。
外界にカメラを持って出た時点で、一種のショートっていうか、ぼくの網膜とか心理にひっかかってくるものがあるわけですよね。その時点では生理的かつ肉体的に反応している。無意識に近いが、だからといって、完全な無意識というわけでもない。シャッターを押す瞬間には、どこかに意識が入り込んでいて、日常、撮るという形で思惟的に収集している。今回は、ここ数年で撮ったネガを全部見直して、ひっかかるものを残していった。相当量あるよね。写真って撮っていくとつのっていくからさ、撮ってあんまり見ないでいたりするわけですよ。それを全部出してきてつぶさに見ていく。あとで見たときに、新しく直感したことを大事にするっていうか。路上で直感することと、フィルムやベタで直感することは、微妙に違う。どっちかというと、探すんだよね、どこで直感するかって思いながら見ていく。今回の場合は、よりグラフィックなものに惹かれていく自分自身がわかるわけ。本来、グラフィカルに撮ったものが全然そうじゃなくて、違うつもりで撮ったものがだんだんそう見えてくるとか。そのときは迷わず、後者をとるってことです。
別に難しいことはないんだよ、写真なんて。撮ればいいんだよっていうのもあって、ときにシンプルでありたいって思う自分もあるが、そうではないと言ってる自分もある。シンプルに向かおうとしても、そう簡単にはいかないんだよ。写真っていうのは、常に外部が対象ですから、そうシンプルにはなりえないっていうか。世界って、そんなにヤワじゃないからさ。常に生々しくて、すさまじくタフ。そういうものに、興味がなくなったらおしまいだけど、それはあり得ない。時代が変わっても風景が変わっても、ぬけぬけとずっと撮りつづけるんだろうね。(談)
*註
女流作家、エリノア・グリンの短編を映画化したIT (1927) は空前のメガ・ヒットを飛ばし、主演クララ・ボウをしてハリウッド女優のセクシーシンボルにならしめる。それ以降、彼女は『It Girl』の名で呼ばれるようになるのである。
