つねに強烈な存在感を示しながら、 1976年、北島敬三はベトナム戦争終結直後の沖縄・コザの基地街を撮影した作品で鮮烈にデビューする。その後、東京、ニューヨーク、東欧へと撮影地を展開していく。その写真は、いまも卓越した光彩を放っている。しかし自身は91年、崩壊直前の旧ソ連での撮影を最後に、ストリートからスタジオへと大きく制作方法を転換してしまう。北島はその時点で、スナップショットにおける「選択」と「瞬間」の美学を否定した。現在も継続している《PORTRAITS》は、大型カメラを使い、決められた条件と手順に沿って、同一人物が一定期間を置いて繰り返し撮影されている。モデルは300人以上、作品の総点数は2000点を超えた。このシリーズには、通常の意味での終わりも完成もない。したがって成功もない。美意識とも趣味判断とも無縁の、ただの「顔の写真」である。でありながら、いや、だからこそと言うべきか、見た者は恐るべきイメージの運動に出会う。感情移入や解読の可能性を奪われたまなざしは、表面へと、「厚みなき厚み」へとまっすぐに折り返されて止むことはない。これは、写真を見るという経験の特徴ではないだろうか。そのときわれわれは、「顔の写真」がモデルや記憶の代理物などではなく、「実物」そのものであることを知る。スナップショットを捨てた北島がこのシリーズに賭けたものは、想像以上に大きかったのかもしれない。 THE JOY OF PORTRAITS THE JOY OF PORTRAITS 1 |
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